大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4260号 判決

原告

椎屋孝雄

原告

椎屋京子

右両名訴訟代理人

大浦浩

被告

島田俊明

右訴訟代理人

大内猛彦

坂東規子

主文

一  被告は原告椎屋京子に対し、金二四八万八一九二円及びこれに対する昭和五七年四月一八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告椎屋京子のその余の請求を棄却する。

三  原告椎屋孝雄の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、原告椎屋京子と被告との間においてはこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告の負担とし、原告椎屋孝雄と被告との間においては全部同原告の負担とする。

五  この判決は、原告椎屋京子勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告椎屋孝雄に対し金一二〇万円、原告椎屋京子に対し金四八五万五四六〇円、及び右各金員に対する昭和五七年四月一八日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生

昭和五四年四月一六日午前七時三五分ころ、東京都練馬区石神井町一丁目七番二〇号先T字路交差点内において、被告運転の普通乗用自動車(練馬五七ち八七五八号以下、被告車という。)が原告椎屋京子(以下、原告京子という。)運転の自転車(以下、原告車という。)と衝突した(以下、本件事故という。)。

2  責任原因

被告は、被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法(以下、自賠法という。)三条により損害賠償責任を負う。

3  傷害及び治療経過

(一) 原告京子は、本件事故により、左肘関節打撲、左膝関節打撲、右胸部打撲、右第六肋骨挫傷及び頸部挫傷等の傷害を受けた。

(二) 通院治療の経過

原告京子は、前記傷害を受け、昭和五四年四月一六日から同年一〇月末日まで丸茂病院、坪井医院及び東大泉外科に通院して治療するとともに、昭和五五年四月一日から五六年四月末日まで東大泉外科に通院して治療した。なお、事故当時から数週間は入院するよう医師から言われたが、原告京子は、幼児二人をかかえていたために入院できなかつた。また、途中昭和五四年一一月から五五年三月末まで一時通院を中断したことがあるが、これは経済的な理由等によるものである。その後再び通院を継続したのは、頸部挫傷の後遺症ともいうべきむちうち症が治ゆせず悪天候時の頭痛がひどいために通院したものである。

(三) 本件事故当時、原告京子は、夫である原告椎屋孝雄(以下、原告孝雄という。)との間に子供を懐胎し、妊娠二か月の状態であつたが、本件事故による傷害の部位、程度等の検査のためレントゲン写真七枚の撮影を受けたところ、その後産婦人科医から胎児が正常な状態で生まれる保証はないと言われ、胎児の中絶を余儀なくされた。

4  損害

(一) 原告京子

(1) 付添看護料 金八六万一〇〇〇円〈中略〉

(2) 薬代、診断書代等 金三万三七七四円〈中略〉

(3) 通院交通費 金三万七一五〇円〈中略〉

(4) 慰藉料 金三五五万円

前記傷害及び治療経過に照らし、通院期間分の慰藉料として金八〇万円、後遺障害分の慰藉料として金七五万円が相当である。また、胎児の中絶を余儀なくされ出生を断念させられたことに対する慰藉料として金二〇〇万円が相当である。

(5) 弁護士費用 金四〇万円

(6) 合計

以上の(1)ないし(5)の損害額を合計すると金四八八万一九七四円となるが、本訴においては内金四八五万五四六〇円を請求する。

(二) 原告孝雄

(1) 慰藉料 金一〇〇万円

胎児の中絶を余儀なくされ出生を断念させられたことに対する慰藉料として金一〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 金二〇万円

(3) 合計 金一二〇万円

5  よつて、被告に対し、原告孝雄は前記金一二〇万円、原告京子は前記金四八五万五四六〇円、及び右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五七年四月一八日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実は知らない。

(二)  同3(二)については、昭和五五年四月以降の通院治療と本件事故との因果関係を否認する。原告京子の傷害は遅くとも昭和五四年一〇月二二日に治ゆしている。

(三)  同3(三)の事実は認めるが、本件事故と中絶との因果関係は否認する。

4(一)  同4(一)原告京子の損害について

(1)付添看護料は不知。(2)薬代、診断書代等は本件事故との因果関係を否認する。なお、原告京子が主張の金二万二六七四円を支払つたことは認める。(3)通院交通費は本件事故との因果関係を否認する。(4)慰藉料のうち、昭和五五年四月以降の通院期間分、後遺障害分、中絶による分についてはいずれも本件事故との因果関係を否認する。仮に中絶による慰藉料が認められるとしても、自賠責保険実務における取扱いのように金二五万円が相当である。(5)弁護士費用は不知。

(二)  同4(二)原告孝雄の損害について

(1)の中絶に関する慰藉料については本件事故との因果関係を否認する。(2)弁護士費用は不知。

三  抗弁

1  過失相殺

本件事故現場は、南北に通ずる幅員約3.5メートルのアスファルト舗装道路(甲路)と東西に通ずる幅員約3.5メートルのアスファルト舗装道路(乙路)とがT字型に交差する交差点内である。右交差点の周囲はブロック塀にかこまれ、いわゆる隅切りになつているが、甲路と乙路との相互の見通しは良くない。乙路には一時停止の規制があり、双方の道路とも最高速度は時速二〇キロメートルに制限されている。

被告は、被告車を運転して甲路を時速約一〇キロメートルで北進し、本件交差点を右折しようとしたが、交通が極めて閑散なため最徐行することなく、右折の合図を出して右折を開始したところ、前方三ないし四メートル先に前後に子供を同乗させた原告京子運転の原告車が接近してくるのを発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず、衝突に至つたものである。

原告京子は、一時停止規制を無視して本件交差点を右折しようとしたものであり、かつ、被告車を発見しても前後に子供を同乗させているため、機敏に自転車を操作して回避することができなかったものであるから、大幅な過失相殺がされるべきである。

2  弁済

被告は原告京子に対し、次のとおりの弁済をしている。〈中略〉

合計 金三五万九六二〇円

四  抗弁に対する認否及び反論

1  過失相殺について

原告は、一時停止標識の場所で一時停止をした後、前方T字路を右折すべく原告車を前進させ少し右側へ寄つたときに突然被告車が右折して出てきて、瞬間的に衝突してしまつたものである。

なお、本件事故現場及び付近道路は午前七時三〇分から九時までスクールゾーンに指定されているが、被告車は進入禁止規制に違反してスクールゾーンに進入した後、本件事故を起こしているから、仮に原告京子に過失があるとしても、これを斟酌すべきではない。

2  弁済について

被告主張の各金員の支払を受けたことは認めるが、いずれも本訴請求以外の損害について弁済充当された。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求の原因1(事故の発生)及び2(責任原因)の事実は当事者間に争いがないから、被告は、自賠法三条により、本件事故により生じた後記損害を賠償する責任を負う。

二〈証拠〉を総合すると、請求の原因3(一)及び(二)(傷害及び通院治療の経過)の事実を認めることができる。

〈証拠判断略〉

三そこで、損害について判断する。

1  原告京子

(一)  付添看護料

〈証拠〉によれば、原告京子は、本件事故後、医師から入院を勧められたが、当時六歳と一歳半の幼児をかかえていたため、やむを得ず自宅で治療をすることにしたこと、前記受傷のため、自分の身のまわり、子供の世話、食事、その他の家事を行うことができなかつたので、付添看護人を雇わざるを得なかつたが、昭和五四年四月一六日から同年八月末までの費用として、金八六万一〇〇〇円を要し、これと同額の損害を被つたことが認められ〈る。〉

(二)  薬代、診断書代等〈中略〉合計金三万三七七四円

(三)  通院交通費 〈中略〉少なくとも金三万七一五〇円

(四)  慰藉料

(1) 傷害分

前記認定の原告京子の傷害(頸部挫傷に基づく軽微な神経症状を含む)及び通院治療の経過その他諸般の事情に照らすと、同人の傷害に対する慰藉料は金一〇〇万円と認めるのが相当である。

(2)  妊娠中絶に関する慰藉料

本件事故当時、原告京子は夫である原告孝雄との間に子供を懐胎し、妊娠二か月の状態であつたこと、原告京子は、本件事故による傷害の部位、程度等の検査のためレントゲン写真七枚の撮影を受けたこと、その後、原告京子は、産婦人科医から胎児が正常で生まれるという保証はないと言われ、結局妊娠中絶をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

ところで、本訴におして、妊娠初期の女性がレントゲン撮影によりX線照射を受けた場合、いかなる条件のもとに胎児にどのような影響があるかという点については、証拠上明らかにされておらず、ただ、産婦人科医の「胎児が正常であるという保証はできない」旨の診断書があるのみである。

他方、原告京子、同孝雄及び被告の各本人尋問の結果によれば、原告京子は、腹部に保護用具をつけないまま、腹部を含むレントゲン撮影をされたこと、原告京子は、前記産婦人科医の言を受けてから数週間の間、子供を生みたいという強い願望を持ちながらも、奇形児が生まれるかも知れないという不安を抱いて深刻に悩んでいたこと、同原告が被告に対し右の事実を告げたところ、被告は、奇形児が生まれたら自分が引取る旨の発言をし、その後これを改め、中絶してほしい旨同原告に申入れるなど、被告の対応が同原告の感情を著しく傷つけるものであつたこと、原告京子は、医師とも相談し、意見を聞いたうえ、結局、子供を生むことをあきらめ、中絶するに至つたこと(なお、中絶手術費用は被告が負担した)、以上により、原告京子は大きな精神的打撃を受けたこと、もつとも、原告京子には既に子供があり、また、中絶後に再度懐胎し、昭和五五年七月一〇日に男児が誕生したこと、以上の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

また、損害賠償請求訴訟における相当因果関係の証明は、厳密な意味での医学的証明を必要とするものではないし、一般に、妊娠初期の胎児の成長過程は非常に不安定な状態にあつて、一定のX線照射を受けた場合、胎児に重大かつ危険な影響を及ぼしかねないことは知り得るところであるから、前記のとおり産婦人科医の意見を聞いた原告京子が奇形児出生の不安を抱いたことは社会通念上是認することができる。そして、妊娠中絶は、母体に対する傷害と同視し得るから、前記認定の諸事情に照らせば、原告京子が妊娠中絶に関して受けた精神的苦痛に対する慰藉料は金八〇万円と認めるのが相当である。

2  原告孝雄

原告孝雄は、妊娠中絶に関する慰藉料として金一〇〇万円を請求するが、同原告は、本件事故により傷害を負つてレントゲン写真の撮影を受け、さらに中絶手術を体験した原告京子とは立場を異にするものというべきであり、また、原告京子に慰藉料を認めた前記の趣旨に照らすと、原告京子に対する慰藉料以外に原告孝雄に慰藉料を認めるべき理由を見出すことは困難である。

よつて、原告孝雄の請求は理由がない。

四次に、抗弁について判断する。

1  過失相殺について

〈証拠〉によれば、抗弁1記載の被告主張の道路状況及び事故直前の被告の運転状況を認めることができ〈る。〉

他方、〈証拠〉によれば、原告京子は事故当時、自分の前後に子供を一人ずつ同乗させて原告車を運転していたこと、本件T字路交差点に差しかかる際、交差点の六ないし七メートル手前の一時停止標識の場所で一旦停止したものの、交差点直前では停止せず、交差点を右折すべく少し右側へ寄つて進行したところ被告車と衝突したことが認められ〈る。〉

また、〈証拠〉によれば、本件事故現場及び付近道路は午前七時三〇分から九時までスクールゾーンに指定され、通行許可車以外は進入禁止規制がされていること(なお、本件事故発生時刻は午前七時三五分ころである)が認められ〈る。〉もつとも、被告が進入禁止規制に違反したか否かは本件事故原因と直接の関連はないが、少なくとも、被告はスクールゾーン内であることを認識し、充分に減速徐行すべきであつたということはいえる。

以上認定の事実その他諸般の事情を考慮すると、本件における過失相殺率は一五パーセントが相当であると思料する。

2  弁済について

被告が原告京子に対し合計金三五万九六二〇円を弁済したことは当事者間に争いがない。右金員のうち、治療費合計金二九万〇六九〇円については、原告京子は本訴において治療費を請求しておらず、従つて本訴請求外の損害にてん補されたことは訴訟上明らかである。また、その余の金六万八九三〇円についても、これらが治療費及び通院交通費として昭和五四年四月中に支払われていること、原告京子は本訴において昭和五五年四月以降の通院交通費のみを請求していることに照らすと、本訴請求外の損害にてん補されたものと推認することができ〈る。〉

そうすると、被告の弁済額金三五万九六二〇円のうち、前記過失相殺率一五パーセント相当の金五万三九四三円が本訴請求に対して充当されることになる。

五損害賠償額

前記三項1(一)ないし(四)の損害額を合計すると金二七三万一九二四円となるところ、前記四項1判示のとおり一五パーセントの過失相殺を行い、さらに四項2の金五万三九四三円を控除すると、残額は金二二六万八一九二円となる。

そして、本件事故と相当因果関係のある損害として認め得る弁護士費用二二万円を加算すると、原告京子が被告に対して有する損害賠償請求権は金二四八万八一九二円となる。

六以上の次第で、原告京子の本訴請求は、右金二四八万八一九二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが訴訟手続上明らかな昭和五七年四月一八日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、原告京子のその余の請求及び原告孝雄の請求は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。 (芝田俊文)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例